先月(7月)、東京、神田で行われた「肥田式強健術」の鍛錬会に参加してきたので、そのことを少し書いてみます。

中心を開く/丹田の開発法

この強健術は、肥田春充氏によって昭和初期に開発された自己鍛錬法、自己療法、悟道である。

その身体の扱い方、捉え方は、格闘技ではないがとても武術的だと思った。つまり、それを実施する究極の目的が日常の健康云々よりも、あまり実用的でない悟りの世界にフォーカスしているようにも思えることから、そう感じるのかもしれない。

呼吸の仕方や、姿勢の調和の取り方などを扱いながらも、それは健康維持のためであると同時に、丹田の開発法でもあるからである。

「中心の鉄火を開かないで一生を送るとは、米俵を抱いて餓死するようなもの」

とは、創始者肥田氏の言葉ということだが、つまり身体の丹田を開発すること、その中心を開いて行く事は人生の大切な目的であり、それを開かないで、あるいは開く努力をしないで一生を送る事は、自らが持っている宝を活かさないのと同じ、という事を常々語り指導していたようである。

「中心を開く努力」をするという事は、<スピリチュアリティー>の本質に深く結び付ていることであり、結果、自らの心身の健康、あるいは自らの能力を発揮して行く事と関連していること。

また、中心を開くということは、ニューエージも含め、様々な宗教(東洋哲学)や聖なる教えにおいて、究極のクンダリーニの上昇や昇華と深く関わっている事であって、エンライトメント(悟りの世界)そのものに深く結びついている。

強健術のエクササイズ

今回肥田式に参加して行った強健術のエクサイサイズは、立った姿勢のまま気合と共にある種の動作を行う丹田の開発法、寝ながらする呼吸法などだった。

丹田という中心を開いていくには、やはり呼吸をしっかりとしていることとと、下半身の安定、つまり日常生活において中心軸をしっかりと持った体の使い方が大事であるということだった。

この中心軸を持った体の使い方の基本と言うのが、私たちが普段使っている身体(体幹)の使い方とは少しというか、かなり異なっている。

例えば腰を少し後ろに突き出して座り、立ち上がる際も腰からではなく、頭から持ち上げるように立ち上がるなど(・・・現時点でそう私は理解した。間違っているのかもしれない)。西洋的な姿勢に慣らされている私たちの動きとは根本的に何かが違うように思えた。
アフリカ人のしゃがみ方この座り方、しゃがみ方は、お尻を突き出すアフリカの伝統的な方式?に似ているように思えた(左写真)。それによって長時間疲れを感じずに座り続けることが出来る、ということであるが、実際にやってみると確かに楽だが、関節が追い付かない・・・。

要するに身体の扱い方が違うのであるが、そのことを腰に神が宿る、という言い方もするようだ。

丹田開発では、からだの動きと共に気合を入れて行く。

その気合の入れ方は、滝行の際、滝に入る前にエイッ!と声を出して自分の切り替えスイッチを入れる感覚にとても似ている。特に冬場の凍てつくような滝に入る場合は、怖がったり嫌がったりしている自分と言う枠組みから出て、より大きなものに自分をゆだねるという感覚になる。滝に自分をゆだねることで、今の自分を超えて行く感覚を体験できるわけだけど、その時に求められるのは丹田に気を集中する気合の感覚であり、それはすなわち、自分の内側にある天と地を結ぶ中心軸につながることでもある。これが伴っていないと、単に自分の自我だけの努力で何かをしようとしていることになり、「委ねる感覚」から離れてしまう事になる。

肥田式はとても地味な修練でもあるので、一般的な認知度はとても低く、正直、ああ、またマニアックなものに足を踏み入れてしまったとも思ってしまうけど^^;;、時に崩れがちな自分自身のコア(中心軸)を意識しながら、自己調整が出来るということには、とても魅力に感じる。

強健術は少し続けてみたいと思った。

 

*参考図書

「肥田式強健術」佐々木了雲著 BABジャパンなど

<聖中心道 肥田式強健術 鍛錬会 サイト>