身体の<気の流れ>と言うと、オーラとか、チャクラとかも連想するかもしれないし、また、経絡とか経穴(つぼ)とかも、最近では比較的一般化されてきた言葉や概念なので、そうしたことも思い起こすかもしれない。

鍼灸などの専門家は別にして、一般的にはそうした<気>の流れる通路である「経絡」や「経穴(」ツボ)の位置などはそれほどなじみがないが、最近では美容の世界にもいろいろとツボの事は取り入れられていて、このポイントを押すと綺麗になります!とか、痩せるツボとか、肩こりに効果があると言っている。それらを実践し、多少でも効果があれば、なるほどと思うけど、実際に、<気の流れ>があるかどうかは、あまり意識することもないし、たいていの人にはわからない。

しかし、見えないながらも、経穴(ツボ)を刺激すると身体に反応が出るし、ヨガをすると確かに心も体も元気になるので、何となくそうしたものがあるのだろうと、人は感覚的に受け止めているのではないだろうか。

でもじゃあ、<気の流れ>が本当にあるのかと言えば、そういった概念は東洋医学の伝統的な考えに基づいていて、効果があるから認知されているということであって、実際に「経絡」の中の<気>と言われるエネルギーの流れが(少なくともすべての人の)目に見えるわけでもないし、「経穴」(ツボ)の位置を通常は感じ取れるわけでもない。

つまり、<気の流れ>が本当にあるのか?ということになると、やはりとても曖昧な感じになる。

だから、潜在的には、本当にそんなものがあるのだろうか?と疑問を感じる人も多いように感じている。(何だか幽霊なんていないと思う人も、実は怖がっていたりするのと同じ?)

気の流れの証明

しかし、<気の流れ>があるというのは、様々な形で証明されようともしている。

例えば、「バイブレーションメディスン―いのちを癒す「エネルギー医学」の全体像:(リチャードガーバー著)上野圭一・真鍋 太史郎訳」

の本の中で紹介されていた事だが、全身にある種の波長に反応する物質を投与して撮影したら、その投与物質の濃いところと薄いところとの体表の分布図が出来たというのである。

技術的には、蛍光物質にある波長の光線を浴びせると発光するのを利用して、見つけにくい微生物をその蛍光物質でラベルして、ある種の顕微鏡で見れるようにするのと原理は同じようなものなのだと思う。そして何と、その分布図の濃い部分の体表上の位置が東洋医学の経穴の位置と一致していた、というのだから面白い。

その経穴のポイントには肉体の構造上において何があるとか、特別な組織や細胞が認められるわけではないが、投与した物質の密度の高い部分は(濃く分布しているところ)何らかの形でエネルギー交換が活発に行われているところになっているとも言えるわけで、そこには目には見えないが何か上位の構造があるのでは?と推論を展開していた。

これはおもしろいなと思った。

そのエネルギー交換の行われている実体の事はともかくも、客観的な事実として、間接的だが、経絡や経穴が実際に在ることを示唆していることになるわけだから。

また最近では、ツボの計測器なるものもある。(これは通電のよいところをツボと計測している?)

要するに、たとえ間接的にでも、何か証拠のようなものを示されれば、目には見えないけど、何かあるのだろうな?と納得感も出てくるわけである。

確信は実体験から!

しかし、そうした実証主義は確かに必要だと思うが、本人の実感としての経験知がやはり伴えば、それはさらに腑に落ちていくことになるのではないか、と思う。

その経験知に関連した話で、手前味噌の話になってしまうが、自分が教えているタッチフォーヘルスの講座では、経絡の気の流れを遮る処置をしたあとに、特定の筋肉が弱まるなどを実際に実感してもらうという事をしているのだけど、その体験をいろいろとすると、ああ、本当に気の流れってあるんだ、という感嘆の声を上げる人もいる。

それは、かなりの説得材料である。目に見えないものが、間接的にでも(再現の可能な)実感を伴ったからだ。

しかしこのような実感が、もっと自分の健康に直接かかわる体験からのものであれば、なんとなく?の領域を超えて、何か分からないけど、確かにある、という確信が生まれるのではないだろうか。例えば、ガンが消失したとか、ありえないような事が起きた、という場合である。知人でもガンが突然なくなったという人もいるし、その手の本もいろいろと出ているし、中国の気功を受けに行って、一瞬にして膀胱癌が消えたという超音波診断の映像も見せてもらったことがある。

そこまで奇跡的なことでなくても、何らかの痛みの症状、あるいは心理的な問題が、滞っていた気の流れが通ることで一瞬にして回復したり変容したりするのを実際に目の当たりにしたり、あるいは自分自身で体験したりすると、それは、なんとなくの実感からさらに確信に変わるのではないかと思う。少なくとも自分の場合はそうだった。

僕自身が最初にそのことを実感したのは、おそらく西暦2000年の頃、古い話だがもう15年ほど前になる。何かジワジワ効いたとかではなく、一瞬にしてすべての症状がなくなってしまう体験だ。

それまでもそれらしい体験はしたことはあったが、それほど劇的なものでもなく、まだそういう変化・変容が起きることに対して半信半疑だった。

それは、群馬の知り合いの気功師のM氏のところの山荘へ行った帰りだった。

月に一度、定期的に開かれていた集まりで、例えば、気功師の治療院に来られていた何らかの問題を抱えている人たちや、僕のように誰かしらの知り合いとか、いろいろな人たちが集まり、互いにいろいろな話をする気の置けない場だった。

それこそ、境界性人格障害の人もいたし、躁うつ病の人もいたし、引きこもりの学生や親などもいた。それに地元の農家の人、医師、看護師、歯科医などの医療系の人、翻訳家、会社関係やリタイヤした人、などなど、様々な人が自前の知識をシェアしたり、地元農家の人の野菜や果物を食べたり、楽器を演奏したり、またその気功師のM師の指導で、簡単な身体を動かすエクササイズをしたりの、コミュニティー的な泊まり込み合宿だった。

その山荘へはいつも車で行ったのだが、その時はとにかく首も痛くてほとんど動かせなかった。(理由は忘れたが身体を酷使していたのと、寝違えもあった?)目も痛い。肩も痛くて回らない。首を回すのもしんどくて、ほとんど固まったような状態でなんとか車を運転していた。

その山荘に到着した後も、つらさもあって、その気功師のエクササイズには少ししか参加しなかったようにも記憶している。帰りの車の運転もしんどくて、何か左目のあたりに圧迫感があって、肩も首も痛くてハンドルを保持しているのが苦しいくらいだった。

やっぱり今回は家で寝ているべきだった、と考えていて、信号待ちをしている時、それは突然起こった。

左目のコメカミあたりの圧迫感が突然取れたのだ。何かせき止められた水門がいきなり開かれてた感じがあった。滞っていた気の流れが通った感覚があったのだった。(たぶん経絡の気の流れのひとつが通ったのだろう・・・。)

その瞬間に、肩の痛いのも首の痛いのも、目の圧迫感も、様々な違和感も、重苦しい感情も、固まっていたものがすべて一瞬にしてなくなってしまったのである。

何だか、狐につままれた感じ。それも、いつもの普通の状態よりも快適な感じだった。気分も爽快。車を停めて、身体を動かしてみたが、快適そのものだった!

別になにをしていたわけではない。もしかしたら気功的エクササイズ?クリスタルボール?(当時自分でクリスタルボールを持ち込んで演奏らしきことをしていた。)それとも、場の力? (ある種の目的で人が集まる高いエネルギーの場の中には癒す力があるのである。)

もちろんこれは個人的な実感であって、なんら客観的な証明にはならないであろうけど、別に薬を飲んでいたわけでもないし、まさか血管に血栓が詰まって血流が滞っていたわけでもないと思う。その理由は何であれ、一瞬にして痛みのすべてが癒されてしまったことに対する驚きと喜び。その体験は自分にとってとにかく強烈だったのである。

気の流れの滞りがなくなると、一瞬にしてすべてが変化する。

このことは自然な流れの中で起きたことなので、何が要因なのかは特定などできないが、身体の問題にしても、心理的な問題にしても、気の流れと深くつながっていることを以来明確に実感するきっかけにもなったのだった。

特に負の感情のエネルギーは、経絡のエネルギーの流れに支障をきたすし、また様々な感情エネルギーは、経絡やそれに関連する臓器に溜まっていくようである。

その逆も真なりで、心理的な問題と関連する身体の部位を調整すると、感情が解放されたり、感情そのものが変容して気づきが促されたりして、その人の想いや行動パターンが根底から変化したりする。

もちろんすべてが劇的に変化するわけではない。様々な要素が関係しているので、すべてそんな都合よくは行かないわけだけど、明らかに関連があることは確かなのだと思う。

この体験は後年、自分の中で、身体レベルの部位の調整だけでなく、様々な形態を持つエネルギー・ボディーのアプローチへと繋がっていくことになった。